けんしの食欲が少し落ちた日のこと─静かに気づいた、小さな変化と私の覚悟

けんしの食欲が、ここ数日、少しだけ落ちています。

大げさに減ったわけではなく、「以前より静かになった」
という言葉がぴったりの変化です。

もともとけんしは
ごはんの支度が始まる音がしただけで
わんわんと何度も吠えていた子でした。

楽しみで仕方ない気持ちが
全身からあふれていたあの頃。

それが最近は、吠え声が低く短くなりました。
一声だけ、静かに伝えるように。

ドライフードの何種類かは食べなくなり
缶詰や茹でたささみ、野菜は食べています。
薬もきちんと飲めています。

眠る時間が長くなり
呼び鈴が鳴っても知らない人が来ても
目を開けない日があります。

ゆっくりした時間が、けんしのまわりに
ふわっと広がっているような感覚です。

家族はとても心配していて
仕事中にも何度もLINEが来ます。
「大丈夫?」「今どう?」
その必死さに、思わず笑ってしまうくらい。

でも私は、もう少し静かな気持ちで
けんしを見つめています。

鼻は濡れていて、舌の色もよく
呼吸は落ち着いています。
リラックスした姿勢で眠っていて
緊張感や苦しさは感じません。

咳が少し増えたかな、そんな日もありますが
いまのけんしの様子からは
大きな病気の気配は、あまり感じません。

獣医ではないので断言はできませんが
「すぐに何か起きる」というよりも、
年齢による、ゆるやかな変化なのだろうな
そんなふうに思っています。

私は実家で、五匹の犬や猫を見送ってきました。
あのときの空気や部屋の温度、独特の静けさ。
言葉にしなくても伝わってくる、命の揺れのようなものを
私は身体で覚えています。

だからこそ、けんしの小さな変化にも
やわらかな気づきとして
受け取れるのかもしれません。

慌てて何かしようとするより
いまのけんしのまなざしを、そのまま信じる気持ちが
静かに育ってくるような時間です。

けんしは13歳。
できれば20歳でも30歳でもそばにいてほしい。

でも、そのために
怖い検査をたくさん受けさせたり
薬漬けにしたいわけではありません。

痛いなら痛みをとる。
苦しいならそれをやわらげる。
それだけで十分だと思うようになりました。

この家で、私のそばで
けんしらしく、穏やかに過ごしてほしい。

それが、私の願いであり、覚悟です。

家族は大騒ぎしていますが
私がいちばん長くけんしと過ごしているので
微妙な変化にも気づけます。

その気づきは
けんしの不調を見つけるためではなく
「どう生きてほしいか」を考えるための
大切なヒントのようにも思えます。

食欲が少し落ちた日。眠る時間が伸びた日。

寒さかもしれないし、年齢のせいかもしれない。

どちらにしても
答えを急がなくてもいいのだと
最近は思えるようになりました。

今日のけんしが
どれくらい安心して眠れたか。
どれくらい穏やかな表情を見せてくれたか。

それだけで、十分なのだと思います。

食べられるものを食べ、眠りたいだけ眠り
目を開けたときに、私がそばにいる。

そんな一日を重ねていけたら
それでいいのだと思います。

もし、あなたの大切な子にも
小さな変化が訪れているなら
その変化に気づけたあなたは
もう十分すぎるほど寄り添えています。

老犬との時間は、ゆっくり流れます。

無理に結論を出さず、今日の呼吸を
ただ一緒に感じていけますように。

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